『わたし』の話【家族1】

吐き出し口が欲しくて開設した。知人友人の愚痴、という距離感で読んでほしい。主に家族と転職先のことを書いていこうと思う。
『わたし』の話を、よければ聞いていってください。

 

わたしは神奈川県の、そこそこ歴史の長い農家の長女として生まれた。
家族の意志に反して、子供は三姉妹。昔ながらの頭の固いこの家では三姉妹というのは相当頭が痛かっただろう。ついでにもう一つ、わたしは双子だった。


女で双子。欠落品だ。


自分で書いていて悲しくなってきたが、そういう認識だった。幸い、家族の性根は穏やかさに寄っていたので虐待には繋がらなかったが、苦労して双子を産んだ母への最初の一言は「男じゃないのか」だったので、奥底では根深い。
母はわたしと双子の妹の名前を決めていたのだが、祖父と父が母に相談なく寺の住職から名前を貰ってしまい、今の名前になってしまったそうだ。母はこのことは一生恨むと言っていた。そのこともあり、わたしは自分の名前を好きになれなかった。

 

そこそこの土地と畑を持った家だった。今では管理が回らず半分ほど売り、手の届く範囲にまで収めているが、男が産まれなかったことで少しずつ家が衰退していっていることは事実だ。わたしは継ぐ気がないし、結婚もする気もない。この血に根深い頭の固い思想は、わたしの代で根絶やしにした方が絶対にいい。


男尊女卑。女は自分より下、という認識差別。


昨今、ニュースでも高齢の政治家が発言を間違えるが、出てくるということはそう思っているということの何よりの証拠だ。男は稼ぎ、女は家を守る。わたしは不自由なく暮らさせてもらっており、その点は感謝しているが、男尊女卑の空気は居心地が悪く、本当にナンセンスな考え方だと思う。

 

祖父の祖母への当たりのきつさが、それをよく現している。
祖母への口癖は、『お前は本当に何をしてもだめだ』。長男へ嫁いできた祖母は、不自由のない暮らしを手に入れた代わりに、『何もできない』というレッテルを張られ、刷りこまれた。基本的に祖父は穏やかな気質の人だが、祖母にだけは当たりがきつかった。わたしが知らないだけで昔はもっとひどかったかもしれないが、高齢になってから頻繁に聞くようになったと思う。
足が悪く、耳が遠い祖母は、いつも下を向いており、良かれと思って手を付けたことを叱られ、出来ないことに泣いていた。あまりに理不尽な時は祖父に注意することもあるが、わたしはかける言葉を持っていない。何故なら確かに祖母が手をつけることは、祖母がいくら言われても理解してくれない『出来ないこと』だからなのだ。
固い思考のまま老いるとこうなる、といういい例だと思っている。
耳が遠くなることに比例して大きくなる声、伝わらないことへの苛立ちで、この家の昼間はひどいものだ。近所と少し距離があることが幸いだが、平日休みで部屋にいるわたしにはストレスでしかなかった。

ちなみに、在宅ワークで家にいることを全く理解してもらえず、仕事をしていないと思われていた。今はしばらく無職なのでその認識で合っているのだが、癪である。
母屋で怒号が響き、敷地内の倉庫を部屋に改良したわたしの部屋にまで届く。静かに文章を書くことが趣味のわたしは、集中力が途切れ、不安と呆れで胸がいっぱいになる。
新しいことへの興味と挑戦を失うと、進化はできない。良いものにならない。彼らと同じように退化していくなら、早々に死にたいとさえ思う。

 

冒頭にも書いた通り、愚痴として読んでくださってかまわないが、『ご意見』は求めていない。わたしもただ聞いてほしいだけだからだ。

それに、アドバイスなどを貰う価値もない。

何故ならわたしにも『何もしてこなかった』という非がある。特に家族に関しては、母が心配で実家住まいではあるが、積極的に関わっていないからだ。
母と妹以外の家族への、情が薄いと自覚している。薄情というより、情をかけたくない。それくらいは、祖父と父はわたしに嫌悪を抱かせた。その凝り固まった、根強い差別で。